禍福
禍福は糾える縄の如し
(かふくは あざなえる なわのごとし)
糾える縄とは
細いひも状のものを撚り合わせ
強度を増したもの 更にそれを
二本で撚ったように見えることから
交互にやってくるような事柄
諺(ことわざ)だが
出典は釈尊のよう
禍福というのは
いわずもがな「わざわい」と福のこと
新型ウィルスによるパンデミックで
禍という文字を多く見受けるようになった
しかし本当に禍だろうか?
亡くなったり罹患したかた
いらっしゃると思う
私心で判断しているつもりはないので
誤解しないで頂きたいのだが
いのち、とは
生きる、とは
それらが
当たり前の事ではないと気付く
中学生の頃、国語の教科担任だった先生に
「あかねさす」の語源を糾した
(吾のただす、はチョイと意地悪かも^^;)
紫には「あかねさす」と決まっているのです、と
なにゆえ?との質問に窮した先生とっさに
あなたの感性は素晴らしいと思うわ
いつか きっと答えが
わかる日がくるはず
微笑みながら
しあわせは仕合わせとも書くから
幸運になろうとしなさいな
と告げし
其を教え賜いし茉莉の花
文豪の娘と同じ字にて と誇らん
鴎外先生は堅苦しくて苦手だが
娘さんの「贅沢貧乏」は読んでみたい
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